[ミャンマー] ダラー村のこと
11/18/2017そうそう、そういえばダラー村に行ったのだったと、ふと、今日の午後に考えていた。
なぜこの村のことが突然と頭に浮かんだのかも覚えていないのだが、確かに僕は土埃の舞うダラー村に行ったことがある。
ダラー村はヤンゴン郊外にある貧しい村の一つで、ヤンゴン市内のダウンタウン近くからフェリーでヤンゴン川を渡った先にある。アクセスが良いのと、都会とは違ったミャンマーの農村部の様子を垣間見ることができるということで旅行者に人気がある場所だ。
最後に僕がこの村を訪れたのは2017年の2月頃で、日本からミャンマーに遊びに来ていた友人を連れて行った時だった。
ヤンゴン随一の高級ホテルであるストランドホテルの近くにフェリー乗り場があり、ある晴れた日の午後、僕たちはそこからフェリーに乗り込んで、対岸のダラー村へ向かった。記憶が定かではないが、ODAによって日本から贈与されたフェリーを使っているため、確か日本人はフェリーの乗船料が無料だった気がする。あるいはフェリー乗り場の改築を日本のODA資金で行ったのかもしれない。
フェリーが到着する対岸では、サイカーと言われる三輪自転車タクシーの運転手たちがヤンゴンから到着する人々を待ち受けていた。前回、この村に来た時は、適当に英語がそこそこ話せる運転手と交渉して、村内を簡単に案内してもらった。
今回も同じことを考えていたので、適当に交渉して運転手を手配した。僕たちは4人のグループだったので、4台のサイカーが用意された。
4台のサイカーは僕たちを村内の立派なお寺に連れて来てくれた。運転手たちの中には、英語がとても上手な若い男性がいて、事実上、彼がツアーを仕切っており、お寺の説明も上手だった。
お寺を一通りみた後には、村の外れに連れて行かれた。そして、この小さな通りを境にして、川側には土地を所有していないより貧乏な人が住み、その向かい側には土地を自ら持っている比較的豊かな村人たちが住んでいるとの説明を受けた。貧富の差はこの小さな通りを挟んで明らかに存在していた。
英語の得意なリーダーに引率されて、僕たちを乗せた自転車はダラー村内のまた違う地域を訪れた。過去にミャンマーを襲ったサイクロンの被害にあった人たちがすむ地域であり、そこは火葬場の近くにあった。
そしてリーダーは言う。未だにこの村にすむ人々の生活は厳しい。もし興味を持ってくれたのであれば、村のリーダーの店で寄付をしてほしいと。
そして、我々が連れて行かれたのは、村のリーダーがどうやら営んでいるらしい米屋であった。どうやらお米を買うことによって村に寄付することができると言われている気がしたが、いまいちそのシステムが僕たちには理解できなかった。
そして、僕はそのやりとりに違和感を感じだし、自然と身構え、警戒してしまった。
ただし、お米は購入した。お米を買うときに使われているミャンマー独自の単位で少しだけ購入した。また、僕は普段からお米を自分で購入していたので、支払った額が特に高い訳ではなかったことも理解できた。
具体的な金額は忘れてしまったけれど、サイカーを選ぶときに提示された金額はとてもリーズナブルなものであった。運転手は各自とても親切で、英語の得意なリーダーは村の歴史や貧困状況などを丁寧に説明してくれた。ツアーは予想がけず社会的な方向に進んだが、僕たちは非常に満足した。
それでもお米を買うことをためらってしまったのは、そのシステムが村にどのように還元されてるのかが不明瞭だったからだと思う。世界中の富の分配は比べ物にならないくらい不明瞭な形で行われており、その恩恵を受けて僕たちのような豊かな国の旅行者は、貧しい国に足を運ぶことができる。
貧しい社会に生きる人々に僕たちは何を求めれば気がすむのだろう。
彼(女)らが涙を流しながら助けを乞えば、安心して手を差し伸べることができるのだろうか。それとも、村人全員が裨益することのできる淀みのない完璧なシステムの説明を僕たちはサイカーの運転手に期待していたのか。
豊かな国の出身者は諸手をあげて貧しい国でぼったくられれば良いとは思わない。
もちろん、そんなことは決して思わないけれども、腑に落ちることのない何かが僕の心の中でまだつっかえている。
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